『わたしのマチオモイ帖』をオモウ

雨の南森町駅前
雨の南森町駅前

6月8日(金)、大阪市「メビック扇町」主催の、「my home town わたしのマチオモイ帖」クロージングイベントに出席した。クリエイターでもない私が足を運んだのは、「オモイ」という言葉に興味を惹かれたからである。

なんとなく気に入って、東天満に事務所を開いた私にとって、以来「マチ」が何であるかを考えることは習慣になっていた。そんな折、メビックの堂野智史さんからフェイスブックで招待されたのを幸いと、東京から出かけて行ったのである。
大阪、神戸で23年間生活したとはいえ、もう40年近く渋谷で仕事をしてきた私にとって、なぜかくもこの町が気にいっているのか、その不思議を解き明かしてみたいとも思っていた。

加えて、経済の停滞を抜け出られるとしたら、大局からの経済政策ではなく、各地域、各町など任意のエリアの中にこそヒントがあるのではと感じていたから、このイベントはそこに焦点を当てているのだろうと出席した次第であった。また、過日読んだ「地域を変えるデザイン」を出されている英治出版の方もプレゼンされるということも理由の一つかも知れない。

さて、プレゼンされた方々も述べられていた通り、「オモイ」には「オモイ」を「掘り起こ」したり、「形にする・言葉にする」そして「伝える」といったようにさまざまな述語をその後にくっつけることができる。「マチ」もまた、大きくは市や区単位で括れる一方で、文字通り日常の生活の範囲で、必ずしも行政の区割りとは限らず、いってみれば、無数の切り取りができるところが面白い。限定することなく、「マチ」「オモイ」を形にして「帖」にすれば、それは必ずあとに続く頁が生まれる予感を感じる。作者だけではなく、見た者がその後を綴ることにもなるだろう。

今までの経済生活では、「思ったこと」は自分(たち)のもの(所有)として「商品化」することが経済を動かしてきたように思う。「マチオモイ」という考えは、どちらかといえば、詩人の書いた詩のように、人々の脳裏や口や掌に渡り、ときには勝手に発展してゆくままにするような、自在性が特徴であると思う。この「贈与」関係は「商品」というものからもっとも遠いところに生まれながら、いつか人々にとって大切な、そして誰にでも求められる、「商品」に生まれ変わるような気がするのである。
「経済」というものが、「商品」ありきで動くのではなく、「オモイ」ありき、から始まる新しい姿を見つけたいものである。

天神橋筋商店街、南森町駅すぐ
天神橋筋商店街、南森町駅すぐ

町の活性化が叫ばれて久しい。しかし、従来の流通などを中心に考えるとすぐに限界にぶつかるような気がする。利害の不一致はいたるところにあるから。一編の詩、一枚の絵、写真、などなど、「オモイ」を形にしたとき、人々はどんな耐久消費財よりも長い年月に耐えうる何かに出会うだろう。そして、ほんとうに欲しいものが何であるかに思い至るかもしれない。
私の天満への「オモイ」がいつ「帖」になるかはわからないけれど、そこで仕事をする者として、それを創作することを、今回の参加者の皆さんから勧められた気がしている。