本と音楽について

何かを好きになる、何かに惹きつけられるというのは、もちろん個人的できごとであり、それが人生の転機を生み出すこともあるという意味では、一度は深く考えなければいけない事柄でもある。

と同時に、他の人とその対象が異なることにも、複雑で難しい事柄が含まれている。なぜ私たちは自分の好みにはどこか頑固になり、他の対象を好む者を時には白い眼で見たりするのか。本や音楽に限らない。人との付き合い、犬を飼うこと、服装、食べ物然りである。

好みの違いとは、結局のところ何だろうか。専門家やマニアでない私(たち)は、数多くのCDを聞いたり、演奏家に触れることはあまり無い。大学の研究者のように壁一面に図書を並べているわけでもない。

ただふとした機会に見聞きしたものに、不意に心をつかまれ、気がつけば好きになっている。ときにはそれをどこかで気にしていても、時と機会にめぐまれないとそのまま忘れ去ることがある。

逆にその「好み」がどこから生まれてくるかにこだわりはじめると、いつのまにか幻影のように浮かぶ「真実」の樹木の周りをうろついている自分を見出すことになる。

牧師の資格を得られずに、やみくもに炭鉱の貧しい人々の世界に飛び込み、自分の持っているものすべてを投げ出してしまい、自らの生活まで危うくしてしまっていた頃のゴッホにこだわったことがある。
小林秀雄の著作に触発されゴッホの手紙をほとんど読み通したとき、文字通り泣けてきた。

いま現在そのことにこだわっているわけではない。このコーナーを始めようと考えた時に、ふいにやって来たのだ。そうしてわずかばかりの人々、芸術家や思想家に思い入れ、そこを拠点に少し遠出をするように、時には新しい出会いを求めている。

これを始めたからには、いま意識的に視野を広げようと思っている。この私の文章を読み、何がしかの共感を覚えた人たちとのより多くの接点を求めて。