
『教科書の最後から始める中学の英語』
- 弟月哲夫 著
- 青山ライフ出版
- 四六判
- 221ページ
- 定価 本体1500円+税
- ISBN 978-4-86450-463-8
- 2022年9月1日発売
著者からのメッセージ

英文の語順にそって訳す語順訳と音読について書きました。
教科書の物語作品を中学1年生の1学期の最初の授業日にいきなり読み始めましょう、というものです。
中学校でもぜひ実践していただければと考えております。
やった分だけ積み重なり、どのような生徒も決して挫折することない方法であると言えるものです。
ただ意味がつかめれば良い、読めればいいのではなく、語順にそって意味をつかみながら音読すること
が大事なのです。文法が苦手な生徒に易しい問題集を与えるのではなく、訳すのが面白い作品に挑戦し、
訳した後は、ひたすら音読をすすめるのが良い、と思います。文法が苦手な生徒は、文法以前にそもそ
も、「英語」というものに出会っていないのではないでしょうか。
「物語」はまず何よりも心に触れるものを持っています。会話の練習をするより前に、「英語」の核に
接し、「英語」を使っている人たちの息吹を感じ取れた時、学習のスタートラインに立てたと、言える
のではないでしょうか。
こんな方におすすめです
- 中学校の英語の先生
- 塾の英語の先生
- その他、教育関係者のみなさま
- 英語教育に関心のある保護者の方
- 英語教育を研究されている大学生の方
もくじのご紹介
- 第1部 語順訳と音読
- 1章 語順訳とはどのようなものか
- 2章 音読について
- 3章 作品として向き合う
- 4章 英作文と音読
- 5章 中学校でのグループ学習
- 6章 第1部のまとめ
- 第2部 言葉について
- 1章 規範について
- 2章 語順訳の価値は音読で決まる
- 3章 方法論
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著作の続きとして、「語順訳と音読の実践」について
英語についてほとんど何も知らない状態で英文に向き合い、語順訳をするという段階、
多くは小学高学年生の場合を例にとります。
たとえば小学4、5年生が ‘Rumpelstiltskin’という物語を語順訳します。
総語数1116、リーディング時間8分余り、1分間に137語の速さの教材です。
Once there was a miller who was very poor, but he had a very beautiful daughter.
He was so proud of his daughter that one day he spoke to the King about her.
“Your Majesty, I have a daughter who can spin gold out of ordinary straw.”
このように物語は始まります。
生徒たちは語順訳に入る前に、音声見本を自習として聞いてはいますが、授業では指導者と
一緒に全文の読み合わせをします。訳をする直前も個人で音声を聞き、声に出す練習をしま
す。それを終えた後、指導者のチェックを受け、その段階としてのOKをもらってから語順
訳を始めます。この学年では単語の意味はほとんどわかっていません。また、言うまでもな
く文法の解説(関係代名詞、so‥that構文、助動詞など)はしません。しても頭に入りませ
んし、文法はこうした文をたくさん訳し、音読してこそわかるものだと考えていますから。
たとえ中学生であったとしても、文法は自分で文法書を開き、該当箇所を自分で読み、読ん
ではまちがえ、まちがえてはまた読むということの繰り返しの中で、生徒自身の成長と共に
徐々に理解が進むものです。カリキュラムに沿って、説明から入るという進め方は、残念な
がらほとんどの生徒にとっては「頭が真っ白になる」状態が生まれるだけでしょう。「頭が
真っ白な時」何も理解できないばかりではなく、心理的な負担感が増すだけと言えます。ル
ール的にまちがいがあっても、とにかく草野球をした経験があるからこそ、本来のルールに
納得がいくものだと思います。それはそうと、現在では生徒は端末を与えられているでしょ
うから、こうした音読練習はとてもしやすい環境になったと言えます。現実感のない会話な
どよりずっと積極的に聞き、聞いては音読をやると思います。
英語といえども一つの言葉です。言葉を理解するということは、心の成長がないとできませ
ん。生徒それぞれの成長を待ちながら、粘り強く対応することが求められます。
さて、英文にはカナが振られていますので、カナに目がいきますし、いわゆるカタカナ読み
です。しかし、自習として繰り返し音声を聞き、音読を繰り返してゆくうちに、少しずつこ
なれた言い方になっていきます。4−5ヶ月かけて読み、訳し続けると、イントネーション
に特徴のある文や短い文などはスラスラと言えるようになり、全文を訳し終えた段階で、役
割を分担して劇の練習に入ります。この練習を重ねている間に、曖昧だった箇所も覚えられ
るようになり、かつ見本に近い発音になっていきます。スラッシュで区切った語句単位での
意味把握だとか、読みの練習などを繰り返し行いますから、劇練習に入る頃は物語の内容の
ほとんどは理解できていますので、動き方のおおよそはすぐに了解できるようになってい
ます。この再表現としての劇活動は中学生でも行うべきでしょう。実感の伴った劇空間ほど、
英文がイキイキと感じらるはずです。登場人物になる、ナレーターになるということは、自
分自身がその文の語り手、話し手になることですから、英文と自分の一体化がはかれると言
えるでしょう。頭の中の物語空間は人によって様々でしょうが、ある場面が全体の中のどう
いう位置付けかは解ります。場面ができていれば、つまり誰かと向き合っていれば、自分の
言葉はその登場人物に向かって言うわけです。短い会話例文のやりとりではなく、一つの物
語世界の中の会話は、現実感のある発話体験となります。
ご覧の通り、中学生対象の学習と比べた時、小学生にどうしてこのような難しい英文を選択
するのかと、疑問に思われるかもしれません。その答えは簡単で、その物語を楽しめる年齢
だから、です。先述しましたが、語句の読み方は書いてあり、意味も与えます。訳の仕方に
はルールがありますが、小学生でもわかります。最初こそ少し戸惑うかもしれませんが、
すぐになれます。やるべきことはとても単純なのです。単純だから文字通り誰でもできます。
学校の授業のように、ついていける、いけない、というようにはならないのです。
私たちの活動の話を聞いていただける機会を設けていただければ、クラスの様子、劇発表の
様子をご覧いただけます。
(つづく)
著作の続きとして、「語順訳と音読の実践」について その2
生徒たちの音読の進捗は、指導者が各生徒の目標値をどこに置くかで左右されるのではな
いでしょうか。目的地を与えることはとても大事なことだと思います。
ところで、文法学習の理解の度合いは、能力というより、個々の生徒の成長によって決まる
のではないか、そう考えられます。みんな一緒に、というように足並みを揃えるのはたいへ
んむずかしい。しかし生徒の側からすれば、文法学習は目に見えるものなのでとっつきやす
いし、何問解いたぞ、というように自己満足にもつながる。結局は問題集をこなし、テスト
対策をしようとすれば、どうしても音読は二の次になりがちか、無視してしまうことになる
でしょう。問題を解くと、その分、前に進んだように感じられ、即効性があるようにも思え
るからです。しかし、文法の全体を知らない者が部分的な知識を理解しようとしても、どう
しても無理があり、わかったような気がする段階に留まっているように見えます。ただ問題
に慣れただけかもしれません。問題に慣れ、テストでは記憶を頼りに解答をともかく出して、
それが正解であれば、英語ができたと思うわけです。しかし、それほどことは甘くなくて、
応用問題や長文問題になると実力が問われ、今度は、自分は長文が弱いとなる。英語がわか
らないのではなく、長文が弱い。そこで、今度は長文問題集をやるとか、そのような対応を
求めて塾へ通ったりします。
今、私は、一部の頭の良い生徒、自分で学習範囲を広げて英語に触れることのできる生徒に
ついて書いているわけではありません。過半数の、将来英語嫌いになるかもしれない生徒を
思い浮かべているのですが、文法についていけなくなりがちな生徒こそ、音読の徹底が必要
だと言いたいわけです。文法の世界に関してはたくさんの時間を要し、学校の進行よりゆっ
くりとしか歩めない生徒。英語の世界のどこを、今歩いているのかが見えていない生徒を思
い浮かべて、これを書いています。課題はそこにしかありません。できる生徒はできるので
すから、ほっておいていいわけです。
文法学習を一つの理論的な体系の世界と見做せば、そのような領域が弱い生徒こそ、音読を
徹底すべきだと思います。読むのが下手、そもそも読むのが嫌いと感じて、すぐ問題に取り
組む生徒は、読めないのに、つまり、英語とは言えない読みをしておきながら、英語の問題
を解くという矛盾にはまり込んでいます。そういう時、目の前の文法説明が大事なのでなく、
行き先を示してあげることが大事だと思います。今どこにいて、これからどういう場所を目
指しており、その気があれば、「君はそこに行ける」と言ってあげることです。自分で文法
書を読んでわからない生徒は、どんなにやさしい言葉で、たくさん比喩を使って説明しても、
わかるものではありません。説明は下手をすれば指導者の自己満足に過ぎないとも言えま
す。そんな生徒に必要なことは文法ではなく、体験なのです。スラスラと読める。英語らし
く言える。自分の言葉のように英文が読めた時の快感なのです。素振り練習のおかげで、バ
ットにボールが初めて当たる、その時のうれしさこそだいじではないか、そう思うのです。
He was so proud of his daughter that one day he spoke to the King about her.
たとえば、この箇所を語順訳するとします。
まず読みます。声に出して読むことから始めます。スラスラ言えていればよしとします。
それから語順訳します。次のような経過をたどります。
彼は
彼は〜を自慢に思っていた
彼はとても〜を自慢に思っていた
彼はとても彼の・を自慢に思っていた
彼はとても彼の娘を自慢に思っていた
彼はとても彼の娘を自慢に思っていたので
彼はとても彼の娘を自慢に思っていたので、ある日
彼はとても彼の娘を自慢に思っていたので、ある日彼は
彼はとても彼の娘を自慢に思っていたので、ある日彼は話した
彼はとても彼の娘を自慢に思っていたので、ある日彼は〜に話した
彼はとても彼の娘を自慢に思っていたので、ある日彼は王様に話した
彼はとても彼の娘を自慢に思っていたので、ある日彼は王様に〜について話した
彼はとても彼の娘を自慢に思っていたので、ある日彼は王様に彼女について話した
途中では、何度も間違いを訂正されたり、訳ルールの確認をさせられたり、右往左往しなが
ら進行します。決してスイスイいくわけではありません。そのつまずきが、また生徒を強く
します。言葉の訓練になります。自分の発言した言葉を振り返るということは、考える力を
相当つけているはずです。
さて、この息の長い文でも一文としてつないで訳をします。
このようにして全文を語順訳したあと、もう一度音読練習をします。
復習として(自宅学習)、スラッシュ単位の意味を確認したり、とにかく繰り返し音読練習
をします。
つまり順序に沿って日本語にせずに意味を了解できるようにし、翌週には、カナフリのない
テキストを使って音読をさせます
全文を訳し終えると、役割を分担して、劇練習に入るのですが、この段階では、各語の発音
を間違えていたり、平板な読み方だったり、そもそもつっかえたり、などということは少な
くなっています。
つまり、一応語順訳と音読をやりました、はい次の作品、ではなく、必ず目標とする姿(劇
発表)を追いかけます。学んだことの一応の集大成があります。この最終形がないと、生徒
はどこに向かっているのか、どんな場所に行きつけば良いのかがわからなくて、途中の学習
の意義が薄れるでしょう。
野球のボールを受ける練習をしていて、繰り返し失敗したなら、失敗しないための練習をし
ます。失敗しない水準が目標となるわけです。英語学習でも同じではないか。読みが下手な
ら練習する。練習を積めば、必ず音読の質は上がります。
多人数の授業で全てはできないとしても、読みの水準を上げるために目標課題を出すこと
はできるでしょう。そしてそれを自習として行うようにもっていくには、どんなにささやか
な変化であっても、そこを肯定してあげることだと思います。
整理しますと、語順訳の進行に沿って、音読にはいくつかの段階があることがわかります。
意味把握:①語順訳→②語句単位で意味がわかる→③日本語にしなくても語句の意味がわ
かる→④文全体の意味が直接わかる、イメージできる
音読の質:⓪カタカナ読み(日本語)→①スラスラ読める(正しい発音)→②見本音声のイ
ントネーションを真似することができる→③見本音声全体の模倣ができて、同じ速さ(ある
いはそれ以上の速さ)で言える。→④話し手になったつもりで言える
訳と音読の①→④は必ずしも並行しているとは言い切れませんが、同じように歩んでいる
かのようには見えます。
著作の本文中で、「閾値」という語を使いましたが、生徒の様子を見ていると、はっきりと
した線引きができるわけではありません。ある水準を超えたな、と感じられる読みが達成で
きた時、生徒は英文を自分のものにしたと、言えるのではないでしょうか。いわば連続した
グラデーションの世界を移行している状態と言えるでしょう。ある文ではできても、次の文
はできていないということもありますが、いったん閾値の感覚を得た生徒は、英作文の時
(小学6年生)でも、頭や記憶で考えるというより、むしろとにかくある文を産出する、つ
まりは即答できるような作文感覚に繋がっていくようです。たとえ解答が間違っていても、
何かを直接英語の文にするという作文感覚です。小学生の時の音読で養成されたものが、中
学2年から3年生になると、さまざまな領域で生きてくるといった感じです。中3で英検2
級が現実的な目標となり得ます。繰り返しお伝えしたいことは、音読はどのような生徒でも
挑戦できることであり、やった分だけ必ず成果が出る、ということに尽きます。
従って学校教育でも、小学生段階で物語作品の訳と音読を、もちろんやってみたいものです。
学校間の接続が叫ばれていますが、小学生で物語の音読のたまりを蓄積できれば、中学校で
はより幅広い学習が期待できるのではないでしょうか。
(つづく)
著作の続きとして
一対一に対応している、ということ
中学生の英語学習では、いつの間にか前提として受け止められていることがあるように見えます。
それは、英語から日本語へ、あるいは日本語から英語へと変換する場合、言葉は一対一に対応して
いるという、どちらかといえば無意識に捉えているのではないか、ということです。習い始めた途
端に、いつの間にかそのように思い込んでしまっているのかもしれません。対応しているからこそ、
学ぶことができる、というように。
何か一つの単語を辞書で見てみるとすぐにわかるように、さまざまなニュアンスがあり、訳語が当
てはめられ、その語の意味や働きが蜘蛛の巣状に広がっていることがわかります。学習の初めから
そうした複雑な情報全部を相手に出来ませんので、一つの単語を一つの日本語に当てはめることが
多くなるでしょう。I am〜という文型もそれに拍車をかけているかもしれません。日本語に訳しに
くい文で学び始めるのではなく、わかりやすいものから、という発想は、そのことを助長している
ように思われます。
しかし、いつの間にかいろいろな面で英日が一対一に対応していると思ってしまうと、都合の悪いこ
とが起こります。よくあることですが、「〜が好き・です」という形式の文を英語にするときに、
likeとbe動詞を併用してしまうことがあります。一般動詞とbe動詞の働きがまだよくわかっていない、
というように判断されてしまうのでしょうが、英語の動詞にはその2種類があると説明を受けたにも
かかわらず、間違いが起こります。英語の動詞にはそのような区別がある、つまり英語の世界の話と
して受け止めるしかない、にもかかわらず、間違える。つまり心がその事実を了解することにどこか
で抵抗している。日本語にはそれに対応するものがないので、本当は説明を受け入れられないという
状況が起きているのではないでしょうか。そのことをすんなりわかってしまう生徒と、そうでない生
徒がいるでしょう。それは頭の良し悪しなんかではなく、言ってみれば、日本語から離陸できている
か、できていないかの差ではないか。それがなぜ起こるのかはわかりません。生徒の心の中を解析で
きませんから、こうだとは言いきれませんが、英日が対応しているとの思い込みが強いのかもしれま
せん。あるいは、そもそも心が英語学習に十分に傾いていない、ということも考えられます。
こうした現象は、英作時の語順がいつまで経っても出鱈目なことにも現れたりします。とにかく、英
日が対応しているという幻想から解き放ち、英語の世界へ入って来るように導いてやらなければなり
ません。
生徒の中には、英語を将来使えるようになりたいとか、趣味の世界の英文を自分で読めるようになり
たいとか、積極的な姿勢の人もいれば、テストの点数を気にして問題集ばかりやる人もいるでしょう。
また、とにかく学校の授業なので受けているだけという人もいると思われます。指導する側としては、
どの生徒も同じように導いていきたいと思ってはいても、なかなかそうはいかないのが現実でしょう。
授業の枠組みを壊さずに、予定通り前に進むほかないでしょうから。英語の世界に関心を持ち、外国
の人たちとのやりとりに思いを馳せてほしい。日本語とは異なる言語に少しは関心を持つと同時に、
日本や日本語を振り返る機会を持ってほしい。他者への関心を深め、想像豊かに物事を考えるようにな
ってほしい。英語の理解度は、生徒によってさまざまであっても、指導者の方は、そのような思いを
もって過ごされているのではないでしょうか。
さて、一対一の対応意識を引きはがし、まずは英語そのものに心を傾けるにはどうすればいいのでしょうか。
私たちはそれを「物語」を語順訳し、音読することで解決しようとしています。もちろん学校と異なり
、自分から(あるいは親に誘われて)私たちのところへやって来る子どもたちですから、多くの生徒は
前向きではあります。でも中学生になると気になるのは学校の成績です。学校の成績が良くなることを
願うのは、もちろん本人ばかりではありません。親御さんはいうまでもなく、指導者もまたそうです。
しかし、私たちが力を入れるのは、物語長文の語順訳であり、音読であり、英作です。問題集は控え選手
です。語順訳で英文の語順感覚、文の要素の配置感覚を養い、そして何よりも英文のテンポ、リズム、
イントネーションが生み出す力動感を手に入れるための音読が最重要です。この力動感を手に入れると、
英作をする場合も、まずあることを話そうとする、伝えようとする感覚が生まれるように思われます。
知識を思い起こし、文を作るというより、その基底には、とにかく言葉を生み出そうとする感覚がある
ようです。もちろん初期(中1〜中2)では間違いも多い。目的語が最初にきたり、動詞を見誤ったり
します。「英語の動詞にあたるのはどれ?」とか「だったらその前に主語がくるよね」などとアドバイ
スすることはたびたびです。一般動詞とbe動詞の場合の他にも、目的語と述語動詞の位置が逆さまにな
ったりします。そこをただ不正解、などと言って終わらせるのではなく、淡々とやりとりします。そして
たくさんの英作をしているうちに、知識としてというよりは、心や身体がルールを身につけていくかのよ
うに、できるようになります。船が揺らいだときに元に戻ろうとする復原作用が働くような感じ、とでも
言えるでしょうか。英作してはみたものの、何かがおかしいという感覚があるので、ちょっとしたヒント
で修正が可能になります。
知識を獲得するには、頭が理解することと、心や身体が受け入れることの両方が必要な気がします。どち
らが先ということはありません。生徒たち一人一人違うでしょう。ただ言えることは、知識に弱い生徒ほ
ど語順訳と音読をした方が良い、ということでしょうか。
知識を身につけさせるためにそれをするのではなく、ひたすら淡々とシンプルに、指導者と生徒との間で
やりとりする、ということです。バットを繰り返し素振りすれば身につくものがあるとすれば、訳と音読
はその素振りだといえそうです。
英日が一対一に対応していない、その最たるものは、日本語は語の順序に対して寛容だということでしょ
うか。述語が最後に来る感覚のもとに文を作ります。主語も目的語も副詞もどう並べようと述語につながり
さえすれば、一応文は作れる。この寛容さを括弧の中に入れてしまわないと英語にはついていけません。
しかし、英語では語順が大事なのだと言われても、なかなか納得できないのがほんとうのところだと思われ
ます。言葉の表現には意味と音とが現れます。意味だけを追いかけていても、言葉を解ったことにはなりま
せん。音から伝わってくるものもまた、心や身体が受け止めなければならないでしょう。英語の主語→述語
動詞→目的語と前に進んでいく力動感には意味の積み重なりと、音の流れとが含まれています。語順が異な
るだけではなく、英日ではこの力動感が違うということを、今以上に体験することが必要なのではないで
しょうか。知識としてではなく、一つの息の長い文の音読を通して、語順を体感し続けると、日本語から離陸
できるのではないでしょうか。
一対一に対応していない言い方に触れているにもかかわらず、心のどこかで英日が対応しているように思い込
んで向き合っている、そのことで英語が分からなくなり、やがては苦手な科目へと転じさせているように思い
ますが、どうでしょうか。対応している部分もあれば、対応していないこともある、というのが正確な言い方
だとは思いますが、その境目がどこであるとは言い切れませんので、あえて対応していないことを強調して述
べてみました。 (つづく)