パイのかたち

「ぼくには数字が風景に見える」(ダニエル・タメット著)を読んで

以前、小学生に対してだったか、円の面積や円周の長さを求める時の計算に、π=3.14を使うと難しくなるとかの理由で、π=3にするということがきまり、一時世の中を騒がせたことがあった。

「ぼくには数字が風景に見える」
ダニエル・タメット著
古屋美登里訳 講談社
Born on a Blue Day
A Hodder & Stoughton book

今改めてπについての本を読むと、実にたくさんの数学者が長い年月をかけてこのπの値を極めようと大変な努力をしてきたことに気がつく。

もちろんいまだに「誰もある円の本当の面積を知らない」ことは変わらない。だからこそ、πの値をどこまでも精確にしようと、いまではコンピューターを駆使して実に気の遠くなるほどの桁数まで計算されている。

小数点以下何桁までわかっているか、ご存知だろうか。なんと5兆桁である。それも2010年に日本の会社員が自作のパソコンで達成し、その前年にフランスの技術者が同じくパソコンで記録した約2兆7千億桁を大幅に更新した。その検証計算に64時間かかったことも新聞で報じられた。

こうした努力の成果を見ると、あの決定、π=3は研究者から見ればπでもなんでもない、架空の数字だよ、ということになるのかもしれない。円の面積(円周)を求めるのだから、できるだけ精確にするのが当たり前でしょう、と言いたくもなるだろう。
“3”では何を求めているのかそもそも不明だ、ということになりかねない。

アルキメデスもニュートンも考えた。一生のうちのそれなりの時間をこうした計算に使い果たした人々に幸いあれ。あなたがたがその後の数学や科学を真に支えたのです、と。

さて、このπの乱数のような数列を今度はどこまで覚えられるか、それに挑戦する人たちが現れる。いろいろな覚え方がある。
そのなかで英語の短文や詩にして覚えるというのがあることを今回はじめて知った。(私自身は3.141592までしか覚えなかったが)

“How I want a drink, alcoholic of course, after the heavy lectures involving quantum mechanics” (単語の文字数=数字である。)

ところで、この数字を22,514桁覚えた人がいる。しかもこうした文による記憶ではなく、数字たちがならんだ「風景」として覚えた人が。
彼の自叙伝はこのようにはじまる。

I was born on 31 January 1979-a Wednesday. I know it was a Wednesday, because the date is blue in my mind and Wednesdays are always blue, like the number nine or the sound of loud voices arguing. I like my birth date, because of the way I’m able to visualize most of the numbers in it as smooth and round shapes, similar to pebbles on a beach. That’s because they are prime numbers: 31,19,197,97,79 and 1979 are all divisible only by themselves and one. I can recognize every prime up to 9973 by their ‘pebble-like’ quality. It’s just the way my brain works.

アスペルガー症候群でもあり、代表的なサヴァン症候群として知られるダニエル・タメット。数字に個性を感じ、ある形に見える。

たとえば53には53のみかんのような形、131は二つの丸が上下に重なったような形で、それらの掛け算の答えである6943は左右の53と131の数字の形に沿うような形の多角形をして真ん中に現れる。
「僕には数字が風景に見える」という日本語訳の題であるが、文字通り彼には数字がさまざまな視覚的存在に見える。

どんな××症候群という名を冠せられようが、はたまた私たちと違って数字が「数字」でなく視覚的な形象に見えようが、それを使って計算が出来る。
症候群は単独であるのではなくさまざまな多様性をもち、片方の端ではいわゆる健常者につながるはずである。人は自分を入れたグループを「健常な」存在とみなしたがるが、人間にとって誰も枠組みなどには入らないし、みんなの数だけ枠組みがあるといってもいいはずである。

子供たちの物事の理解の進み方、認識のあり方も多様であるだろう。それをひとつの整理されたステップだけを使って学習させようとすることが、そもそも誤りではないのか。
昨年は「生物多様性」が数多く叫ばれた。私は「ヒト多様性」こそ、まず確認しあうべきことではないか、そう思っている。

さて、ダニエルはてんかん協会の寄付金集めに協力しようと、πの暗記の2万2千桁以上に挑戦する。(ギネスブックに世界一として登録)
その彼の頭の中(?)にはまるで山の稜線を辿ったような線があり、グループごとにまとまりとしての形が見えるということである。そのグループごとに数字を覚える。そしてついに5時間9分かけて達成したのだ。

もっともよく訊かれた質問は「πのような小数点以下の数字が並ぶ数字をどうして覚えるのですか?」というものだった。そのときぼくは「πはぼくにとって言葉にできないほど美しく、唯一無二のものだからです」と答えた。いまもそう答えるだろう。モナリザの絵やモーツァルトの交響曲のように、πそれ自体に愛される理由があるのだ。

彼は数字を覚える天才であるばかりではなく、語学の才能も飛びぬけているのである。
10ヶ国語を使える、1週間でアイスランド語を覚えたとか、そのすごさは、直接お読みになっていただくとして、彼は小学生の頃おとぎ話が好きでこう語っている。

特に好きだったのがグリム兄弟の有名なこびとの物語「ルンペルシュティルツヒェン」だ。ベッドに入ってから両親にこの話を読んでもらうのがすきだった。女王が金色の糸を紡ぎだすこびとの名前を当てようとして口に出す異国風の名前に特に夢中になった。カスパール、メルキオール、バルタザール、シープシャンクス、クルックシャンクス、スピンドルシャンクス・・・。

コアの先生や生徒たちには馴染み深い物語である。