オリンピック閉幕

オリンピックの試合を見る時、自然に自分の国の選手を応援するだけではなく、勝つか負けるか、どれほどの点数を出すかなど、結果に向けてドキドキする体験をします。そして見事な着地、早いタイムに気持ちが高ぶります。こういう心の働きや興奮は、物語を読み進んでいく時に感じるものに似ていますよね。登場人物の無事に安堵したり、活躍に陰ながら拍手を送ったりします。スポーツにも物語があるということでしょう。勝者にも敗者にもそれぞれの物語があり、試合では川が合流するように複数の物語が一つになり、見るものを圧倒します。

物語や童話世界でも、勝ち負けのシーンもありますが、小さな子供達は物語の中のほんのささいな起伏にも興味を示し、その先を知りたがります。ふだんの生活では、いつでも「今」の行為に夢中になる子供たちが、物語ではこれからどうなるのかを気にします。そして最後には平穏な時間が流れていく場面が描かれて安心し、日常の生活へ自然と戻っていきます。いつもの世界に戻れるという安心感がまた次の物語に触れたいという気持ちを起こさせるのではないでしょうか。お化け屋敷のように刺激の強いものだと、興奮がおさまるまで時間がかかるでしょうし、二度と行きたくないと言うかもしれません。

穏やかな日常生活に隙間ができ、不安や期待などが入り混じった気持ちを体験して、また元どおりの生活へ帰ってくる。世の中へ出て行き、家族以外の人たちと協力しあって何事かを成し遂げるには、さまざまな気持ちの揺らぎや緊張を体験するわけですから、こうした経験は成長のためには不可欠なのかもしれません。いわば独り立ちしたあとの世の中を、小さいうちに疑似体験することになるのでしょうか。

物語世界を母語(日本語)ではなく、外国語(英語)で触れることは、このダイナミックな心の体験が、英語と一緒になって生まれるのですから、知識としての英語以上に強く記憶されることは想像に難くありません。一般的な学習では、外国人が話す言葉を知るという知識中心となりますが、物語を通して英語に触れることは、生き生きとした日々の生活体験と同じだけの現実感を伴うでしょうから、心に直接印象づけられるでしょう。知識学習は、その土台にこの体験があるかないかで、成果が左右されるといっても過言ではないと思われます。物語にのめり込み、心の働きを伴って英語に触れる、さまざまな英語表現を知ることは、知識を本物にする力があると言えるでしょう。

もしオリンピックの放送を英語で聞きつづけたとすれば、そのハラハラドキドキと耳に残った英語とが、メダルの表と裏のようにくっついていて、英語が自分の言葉になるための一歩を与えてくれます。選手たちの物語が、バトンタッチさながらに、応援する子供たちの物語を生み出しくれると言えるでしょう。