一穂ミチ著 「スモールワールズ」を読む

一穂ミチが面白い。たまたま「本屋大賞3位」
というキャッチが目に留まり、「スモールワー
ルズ」を読んだ。(一位も二位も読んでいな
い)。ふーっ。あー、おもろいなあ。なんで
やろ?なんで面白いんや? 
作者はどこの箇所に差し掛かった時、やった
ぜ、と感じたのだろうか? 読書が癒しの一
種なら、どこにその薬味は隠されているのか?
など、気がつくと、いくつもの問いに包まれ
ていた。

「スモールワールズ」の中の短編の一つとして
「魔王の帰還」というのがある。
真央も鉄二もはみ出しである、菜々子は宙に浮
かぶ風船の役割。母子家庭の母からも手放され、
おばあちゃんのお店を手伝っている。はみ出しの荒々しさを風のように受けている。
はみ出しが良いとも悪いとも感じてはおらず、ただご飯の箸をゆっくりと運ぶように、日々
過ごしている。
その菜々子の振る舞いが、徐々にはみ出しの棘を一本抜き、また一本抜いているうちに、3
人で金魚すくいの大会に出るまでになる。金魚すくいにはコツがいる。ポイを一度水につけ
ないといけない。水に馴染ませないとすぐに破れてしまう。そうした知恵の伝授が、いつの
間にか二人を静かな人生の入り口へと導いていくことになる。そんなこんなを言葉や行動の
ユーモアに混ぜて描いているので、とても健康な笑いを手にすることができる。
(ここで脈絡もなく、学生時代以来の好きな漫画家の、つげ義春を思い起こす。)

とにかく、読後感は、風船のイメージである。手を離すと空まで飛んでいくやつではなく、
中空に止まっている風船。風に吹かれて上がったり、下がったり。
ザラザラとした現実から逃げ出すわけでもなく、美しい夢を見るわけでもない。だからと言
って、ゴミ箱を蹴飛ばすように、その世界を嫌っているわけでもない。中空に浮いた風船に
視線を託し、ゆらゆら揺れては、時には地上にまで降り、また跳ね返っては空から見下ろす
こともある。じゃ、右往左往して生きている人々をただ描いているのか、というとそういう
わけでもない。なんとも言えない距離感が作者と登場人物との間にはある。この作者は少な
くとも一度は、何かに打ちのめされことがあるのではないか、そんな想像が働く。

少し理屈をこねて言えば、作者は、現実生活へも、理念へも近づきすぎずに、自分の居場所
を確保している、と言えるだろうか。
ピッチャーが投げる球のコースを確認し、自分の守るべき場所を少し移動させて、球の方向
を予測する野手のように、人生にはコツが欠かせない。また、鬱になったり、つい喚いたり、
四六時中、細かい細密画を描いたり、人は自分の居場所をそれぞれに探し求める。それぞれ
現実を乗り越えるためのコツであるとも言える。
魔王と鉄二のようなはみ出しもまた、コツを探し求めているのだ。ただその合間合間にユー
モアが薬味のように散りばめられている。その笑いの正体は一体何か。人生への力こぶをい
つの間にか緩ませてしまう技は素晴らしい。

いくつか引用してみる。まずは菜々子の描写。
『彼女はたいてい頬づえをつき、休み時間ならイヤホンで何かを聴いている。眼差しは特に
寂しそうでも退屈そうでもなく、曖昧に宙を漂っていた。』
『私服に着替えていたが、どこを見ているのかいないのか謎な目つきは変わらない。』
『やわらかくさりげなく、容れ物の中へ金魚を導くのがいちばんうまいのは菜々子だった。』

次に鉄二。
『他愛なくささやかなものたちで、少しづつ、確かに埋められていく。後ろ髪を引かれるよ
うな寂しさと安堵の両方を感じた。』
『俺も、とメロン味を片手に鉄二は答える。現実は何ひとつ変えられない、でも、この夏、
自分たちは忘れられない思い出を作った。それってすごいことだと思った。次の夏が同じよ
うに巡ってくる保証なんてどこもないから。』
『「‥‥‥菜々子」恐る恐る口にすると「よくできました」と笑って赤い氷をひと口くれた。』
『奇跡は起こらない。起こらないから傍にいてやれ。最後には負けが決まっているシナリオ
でも、立ちはだかるから魔王なんだろ。』
これらの箇所は、鉄二の言葉にしてはカッコ良すぎる。作者自身の声が作品に直接登場して
いると見ることができるだろう。

現実世界に対して自分を開いている少女と、はみ出してしまい、現実とどうしてもぶつかり
合うことになってしまう二人。その二人のエネルギーを、菜々子が、水道の栓を抜くように
して放出し、渦を巻きながら管に吸い込まれて行くように導いている、と読める。
現実との異和を一度はユーモアで受け止め、それからそっと栓を開く。それは、菜々子が金
魚をすくいとるときの手さばきに、似ていなくもない、と言えるだろう。
ポイを上手に使おうと思えば、『こうして全部濡らしちゃえば意外と大丈夫。』
もちろん、最後は破れるけれど、それは誰がやっても同じことだ。