第2部 「ことばの森」に入る:比喩としての森

前回の記事は 第1部:自然な英語に丸ごと触れる です。

学校での学習法と私たちの学習法が一番顕著な違いとなって表れるのは中学生です。これから英語を本格的に習い始める中学生の段階で、どのように異なるかを、まず始めに、「比喩」として述べてみます。

ここにひとつの森があります。冒険のようにその奥深いところへ向かって進むにあたって、ふたつの物語が生まれます。ひとつは正面から進んでいく道を選んだ物語、整備された道、登りやすいけれど、森の一部しか見えません。試練の階段を決められたとおりに進みます。そして行き先案内人に簡単な地図をもらい、行くべき道を教えられます。

途中さまざまな関門にぶつかり、問いに答えて、また先へと進み、ついには最後の宮殿に到達。しかしその途中では多くのものが挫折し、行き倒れます。数少ない英雄だけが生き残ります。関門に着くたびに評価を受けるわけです。これから先進めるかどうかの。目的はすべての冒険者を一人残らず宮殿に導くことであり、その森がどのようなものであるかを理解させることであるはずなのに、実際には振り落としてゆくことが目的であるかのように見えます。

もう一つの物語は、冒険者にナイフや剣を与え、まず森がどんな風であるか、どんな岩場や崖があるか、どこに危ない吊り橋があるかなどを、自分の手や足で確かめながら森全体の様子を探らせます。どれが毒草であるか薬草であるかを見極める目を養いつつ、先へ進ませます。

指導者というよりは、ガイド役の者が、今まで生活していた場所とは異なる環境に、一つ一つ注意を促します。最初は時間がかかります、しかし関門を横切る頃は森の色々な性質をみずから学んでいますから、問いに驚くことはありません。

前者は学校を中心とする学習法であり、後者は私たちが選んだ方法です。

学校教育ではある頂に達したときに、はじめて本物の英語の表現物を与えられます。英語が出来るようになった方たちは、必ずある段階で英語の生きた表現に触れておられます。私たちはそれを最初から与えます。学校の学習法と並行して自然な英語に触れさせることで英語のいろいろな表情や規範を体験させるといえます。

要は示された道を歩き、問いに答えることが学習だと思わせないこと、むしろ道に迷わせ、自分で本道に帰る方法と原則を体験的に身に付けさせる事だと思います

大切なことは、提供された知識を身につけようとするのではなく、自分の言葉(日本語)とどういうところが違うのかを、さまざまに経験しながら理解し、知識を確かなものにしてゆくことです。

方法の比較

【学校に代表される多くの学習法】【コア英語教室の学習法】
部分の積み重ね。全体の体験。
会話の訓練と知識学習。音読と語順訳(と知識学習)。
易しいものから難しいものへ。難しさと関係なく自然なテキストで
(その年齢の想像力にふさわしいもの)。
英語自体の理解を求める。英日の違いを体験と共に知る。

多くの英語学習はいってみれば、ひとつの道筋、最初は易しく簡単な問いで導きながら、徐々に難しいものを与える方法です。階段を踏みあがるたびに英語の知識を部分的に与えます。レンガのように部分を積み重ねてゆく方法といえます。会話の積み重ねと文法による学習法は、英語の森全体を理解させるのに時間がかかります。学習法が部分のつなぎあわせだからです。

短い文のときは、単語の日本語の意味を並べて、日本語をつなげて意味把握をする、しかしそれでは長い文、複文になどなるとそれが通用しません。文法知識がある生徒はいわゆる返り読みで何とかなりますが、今度は時間がかかりすぎて、長文ではかなりの時間を要するようになります。

知識を総動員するわけですから、すこしでもそれが欠けていると、途端に読解不能となったり、自分なりのくっつけ方で日本語を結びつける結果、内容を誤解したりします。

さて、私たちは最初からいきなり自然な表現のテキストを与えます。文法的には中3の初めでも習わない文であってもそれが、英語として自然な文章であればいいのです。英語の知識を与えるか、その違いに躓かせるか。躓かせるとは(テストで間違いを指摘することでなく)英日の文の仕組みの違いに目を向けさせるということです。

では中学での実践編をご覧ください。

次回の記事は 中1から関係代名詞!? 品詞と5文型も!?(実例2) です。

解説「コア式語順訳」もくじ

  1. はじめに(前提と全体)

第1部 「ことば」への立場

  1. 概論:なぜ物語?なぜ語順訳?
  2. 実践編:コアの語順訳(実例1)
  3. 補遺:自然な英語に丸ごと触れる

第2部 「ことばの森」に入る