第1部:自然な英語に丸ごと触れる

前回の記事は 第1部:コアの「語順訳」(実例1) です。

意味伝達だけでなく、表現する言葉も大事

言葉には正確な意味を伝達し、お互いのコミュニケーションを図る働きの面と、全く個人的な、一人で「美しい!」と感嘆したり、包丁で指を切って思わず「痛い!」というように、意図しないで出てくる言葉、或いはその延長として、どうしても言葉にしてしまいたい、それもできる限り自分の気持ち、感情をストレートに、あるいは芸術的、文学的創造行為として言葉を紡ぎたいといった、芸術表現としての言葉の世界があります。

私たちは後者の言葉の面も学習領域で取り扱うべきだ、その方が英語を理解するための道筋が得られるはずだ、と考えています。

異文化理解は、生きた自然な言語の「総体」に触れることから始まる

帰国子女の方たちがそれなりに外国語を習得して帰国される。それを私たちは当たり前だと思っています。しかし、単純に手に入れられるものではありません。習得するにはそれぞれの苦痛や不安、努力があったことは間違いないでしょう。

それでも、その苦痛や不安、ときにはコミュニケートする喜びが習得への動機となり、自然習得に近い状態を作り出しているはずです。

その基本にある、音声を聞こえるままに理解しようとする体験と、語る相手の話の内容そのものへの関心が、(それは自分が異国で安全に楽しく暮らすために必要な心の働きです)外国語の文法や統語といったものへの理解を育みます。

生きた自然な言語の総体に触れることが、結局英語の本質理解への近道であり、また、高校、大学、社会人へと続く実践的な英語力にもつながります。ひいては、本来的な意味での異文化理解に通じます。

英語の習得度と学校における評価基準は別もの

帰国子女と逆の例を考えてみましょう。現在学校で学習している生徒がいて、英語はもちろん他の学科の成績も低いとします。その子が渡米して生活することになったとして、その子は英語を習得しないでしょうか。

もしその子の性格が明るくて社交的なタイプであれば、かなり早く習得するかもしれません。言語の習得は学校における評価基準とは異なるところで成立するのではないでしょうか。

逆に言えば、中学や高校でいい成績を収め一流大学に入った学生でも、いまだに英語を習得しているといえる数は驚くほど少ないのが現実です。これは何を意味するのでしょうか。

日本での英語学習の鍵は、日英の差異を意識させること

帰国子女の場合は、外国での生活で、無意識のうちに日英の言葉としての差異(述語の位置や時制表現の違いなどすべて)は修正を迫られ、意識的にも一つひとつ確認されてゆくことになるでしょう。

しかし、日本にいて英語を学習する時には、どうしても日本語についての知識や統語感覚へ引き寄せて理解しようとします。したがって、英語自体を指導するよりは、いつも日英の差異を意識させる方が遠回りのように見えますが、実は確実に納得させることができます。

音韻や語順だけではなく、主語と動詞の結びつきの強さや、前置詞や関係詞によるかかりかたの特徴を体得しやすくなります。
文法を部分的な積み重ねで与えられるより、体験の積み重ねの後に、あるいは並行して与えられるほうがはるかに入りがいいのです。

自然に表現されたテキストなら、時制も関係詞も構文も体験的にわかる

こうした学習を実のあるものにするのが、生きたテキスト、自然に表現された作品なのです。
したがって学習初期の生徒には、いえ、初期だからこそ、私たちはさまざまな時制も関係詞も構文もある自然なテキストを与えます。

文法の序列としての難易は生徒が理解し始める順序とは必ずしも一致しません。自然であることのほうが、はるかに遠くを見渡すことのできる視線を培うのです。

次回の記事は 比喩としての森 です。

解説「コア式語順訳」もくじ

  1. はじめに(前提と全体)

第1部 「ことば」への立場

  1. 概論:なぜ物語?なぜ語順訳?
  2. 実践編:コアの語順訳(実例1)
  3. 補遺:自然な英語に丸ごと触れる

第2部 「ことばの森」に入る