時制考2
「た」に興味が湧き、日本語の助動詞を調べて見る。教科書や参考書では「た」を単純に過去や完了と説明して済ませているものもあるが、たとえば中学1年の教科書(教育出版)では、「活用のある付属語を助動詞と言います。助動詞は、述語の意味を詳しくしたり、話し手の判断や気持ちを表したりします。」と書き、例文では「森さんは 昨日 帰国した そうだ。」という例をあげている。そこでもう少し詳しく知りたいと「助詞・助動詞の辞典」(森田良行・東京堂出版)を見る。そこではいきなり最初に、「た」は過去や完了を表すのではない、と書かれていて、「〜た」の意味と機能、という箇所では次のように説明されている。
過去・完了と言われる日本語の助動詞「た」も、命題の中で直接「時」を表しているわけではない。—略— 話者の主観的な認識を添える「た」は、ただそれを個別的な事象として振り返り、間違いなくそのような事実が成立しているのだと判断する。したがって、話中の「時」がたまたま過去である場合には、その事象を振り返って、その成立を確かなものと認識する結果、「回想」の意味合いが「た」に付随することとなる。一見、「以前」ないしは「完了済み」の事柄を表すと思われがちな「た」ではあるが、そのような客体界の状況叙述ではなく、主体の確認意識の現れ、その副産物としての「回想」意識と考えてよい。極めて主体的な心理作用の言語化なのである。
説明の例文として使われているものとして、次のようなものがある。
「来週試験あったかしら?」「明日いちばんはやく来た人が窓を開けなさい」
どうやらこのように「た」を使う日本語話者にとっての「時間」は、欧米語の「時間」認識とはまたちょっと違うように思われてくる。
ある色を「赤」ですと言われてだれもが頷いたとしても、同じ色を見ているかを決めることができないのと同様、「過去」と言われても、その時間感覚は人さまざまであると想像できる。だとすれば、たしかに習ったのに、しかも簡単な規則としてのedを知っているのに、書き忘れる、ということはありうるのだと思われる。
英語の「現在」という概念は、「過去」や「未来」という概念があって初めて成立する。様々な時制が入り混じる物語作品に触れてこそ私たちの学習は成立する。音読して時制を感じ、態や法を感じる。英文自体を感じる。感じるという経験の中から規則性が見えることもある。ひとはいつも成長途中であり、何かを感じ取ることから時間や世界を理解し始めるにちがいない。頭が悪いから、あるいはケアレスミスしてedを付け忘れるのではなく、彼(彼女)は私たちがとっくに忘れてしまった時間の花園に今もいる、そう考えてもいいような気がする。
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